中の人 とは何か。

ニコニコやYoutubeのゆっくり実況投稿主などに対して、

編集者の人格や性別を問うような形での呼称として、

編集者や投稿者のことを、

ゆっくり実況のキャラクターを指すときに使われた表現として、

特徴をとらえた形で、「○○の人」のような表現とは、別に、

「中の人」という表現で編集者及び投稿者を呼称した時代がある。

 

vtuberにもその流れが来ていることについて、

最近思う事ができたので少し語りたく、こちらの記事を書いている。

 

vtuber が好きな方ならご存じだろうが、以下にその例を挙げる。

 

1、「輝夜月」さん

vtuberに詳しくない方やポケモンに詳しい方が、

読み間違ってはいけないので、改めて書いておくが、

かぐや るな さんである。

この輝夜月さん。

niconico動画で活動されている「mega」さんが、

MAD動画的なものを歌ってみられた様子が、

恐ろしく本人に似ていたこともあり、中の人説も浮上したが、

結局のところ中の人は「P丸様」さんだといわれています。

 

2、「織田信姫」さん

先ほど紹介した「mega」さんが中の人だといわれているvtuberさんです。

実際に動画を見比べると反応がすごく似ているので、

何というか。。。わからんですけど中の人説は事実なんだろうなぁと思っています。

 

と、とりあえず2例紹介しましたが、

どちらも、事実でもどうでもいい気もしませんか?

中の人が誰だろうと「vtuber」さんという存在が、

私たちを楽しませてくれていることは事実なわけですし、

中の人を詮索することに、

いったいなんの意味があるのかわからない気もしてきます。

 

ですが、意味があると感じる人には意味はあるのです。

考えました。

 

私たちが生きている世界の中で、

vtuberの皆さんも同じように生活をしています。

そう、「中の人」は。

vtuberというモデル自体は電脳世界の架空の存在で、

結局は「中の人」がバーチャルリアリティの世界で生きるために、

モデルによって受肉され、その被り物の中に中の人がいるにすぎません。

 

生々しい話にはなりますが。

vtuberとしての配信の収益化と投げ銭で生きることは

売れているvtuberであれば確かに可能です。

 

ですがそんなvtuberさんでさえ、

飯を食わなければ死んでしまう一人の人間であることは間違いないのです。

そう考えたら、確かにvtuberとしての側面だけより、

人間味を帯びた部分も少しは知りたいと思うのは普通だと思いませんか?

 

vtuberという仮想現実の世界に生きているものを娯楽として楽しみながらも、

私たちはどこかで、人間味を帯びたものを求めているのだと思います。

 

人間っていいな。

 

 

生きることが嫌になってネットに逃げる若者、だとか、

現実逃避してネットに引きこもる若者、だとか、

最近の若者は言われることがありますが。

 

そんな若者たちもどこかで、

そう思っているのかもしれませんね。